2025年1月28日火曜日

病とともに満ち足りた日々

 2月に告知を受けてから様々あった

なんて濃厚な日々だったんだろう…普通の日常を送っていたら果たしてこんな充実を得られただろうか

海外の音楽祭に招聘され、旧友とアンサンブルをし、マスタークラスの講師まで務めることが出来、現地の学生にとても慕われて写真を撮り質問をたくさん受けて幸せだった

後輩たちと大きなホールでの自主企画コンサートを成功させ、懐かしい先輩方や同級生にも聴いてもらえて、師匠には次の仕事までもらい、余韻までずっと幸せだった

自治体のマルシェイベントに呼んでもらい、大好きな朝ドラの曲を吹き、地元の子どもたちと楽器共演と楽器体験で交流し、笑顔をたくさんもらって幸せだった


もちろんその間も化学治療を続け、合わせの時は倒れ込むこともあったし、ステロイド点滴のせいで夜に目が冴えて妄言を吐き周りに大迷惑をかけたり、手術後の傷跡が治りきらず海外の決して衛生的とは言えないバスルームで、痛みに耐えながら自分で懸命に処置したりしていた

それでも音楽に囲まれている時間は何ものにも代え難く幸福で、充足感しかなく、毎日ごはんも美味しくて友との会話も楽しくて、自分ががん患者ということを忘れていられる瞬間さえあった


がん細胞とは結局のところ自分そのもので、私から生まれなぜか私を苦しめる私の一部なので、時々一体何と戦っているのか果たして戦うのが正しいのかと思うことすらある

そのことだけを考え痛みと辛さばかりに集中していると、どんどん鬱状態に陥る気がする…でもなかなか終わりがすぐにやってくることもない

ならばこの状況を少しでも攻略し打開し生きていくしかない、それは病人でも健常に生きていても同じなのだ。人はそれぞれに悩みを抱えている。私は病人になって悩みの面はほとんど免除されフリーにしてもらったので、今、病以外のストレスは全くないといってもいい。なんという幸せ。その恩を返すためにも、私は元気を出して奮起しなければ!そう決意する日々なのだった

2024年6月17日月曜日

もたらされた幸運もある

 物事にはなんでもプラス面とマイナス面があり、不幸だ不運だと捉えることも出来るし、ラッキーだ幸せものだなと思えることもある。人と比較して幸福を実感したりしなかったり、それは安易でお手軽だけど、結局自分自身を救うことにはならない。

今置かれている状況にどうやって立ち向かうかだけ考える、いつも私はそうやって生きてきた。先のことを画策したり憂えてもどうしようもないし、思い通りになんか行かない。ならばある程度風に吹かれつつバランスをとって立って前へ歩むしかないのだ。

もちろん、上手くやろうとはする。攻略するのは好きだし無駄も省きたい。なるべく気分良く。でもここまで自分の力が使いものにならなくなり、頼らざるを得なくなった状態で、どう切り開けばいいのか…私はがんがもたらしたラッキーなところを探そうと思った。そんなものないと思っていたが実は色々とある。

脱毛は抜けてしまえばとても便利。手足も顔さえもツルツルになって若返った肌のようにすべすべとしている。洗うのももちろん時間は要らない。化粧品はとても乗りやすいしなぜか乾燥もしない。暑い日はたぶん人より涼しい。雨の日はたいてい髪型が決まらなかったがウイッグはどんな日でもセットされた美しいスタイル。常にちゃんとした人になれる。抗がん剤はツラい副作用だけでなく良い作用をもたらすこともある。脳の回転が妙に良くてアイデアが湧き気付きや発見がぼーっと生きてた前よりあったりする。

周りが私に期待していない分、ものすごくプレッシャーから解放されている。こうせねばならない、これだけはこなさなければ、という切迫感や義務感を持たずともいい幸せ。私はまるで学生のように能動的なことのみしていると今感じられている。そのせいで以前より創作意欲が湧いているほどだ。

だから本当に心から感謝ができる。喜びがそこかしこに見つかる。とるに足らない小さなことも楽しめる。精神は充足感であふれている。

My Favorite Thingsという歌がある。大好きなモノだけを歌うあの歌は本当に生きるのに大切なことを教えてくれてる。なぜ自分だけこんな目に?と思いそうになることもある。けれどこんな目に遭ってるのが私以外の大事な人でなくてよかったとも思う。フルートを吹くとまだいい音が私から出てくる。指もけっこうちゃんとまわる。ずっとこれからも吹き続けなさいと言われてる気がする。

2024年3月11日月曜日

がんができて。

 自分には起こらないだろうと、いつもどこか他人事に思っていた、

がん が自分にできた

それは痛みをもたらし、弱気をもたらし、悲しみをもたらした。

でも今、優しさと思いやりと祈りと励ましといたわりと…抱えきれないほどの幸福を贈られていると感じる。

傲慢だった私。死は怖くない、誰かに介護してもらってまで生きたくはない、死期を自分で選びたい、自分勝手にそんなことを考えていた。がんができて、それらがいかに恐ろしく酷く尊厳を無視した最低の思考だということに、やっと気付いた。

この世に生まれて大切に育てられ、ここまで幸運に様々なことに恵まれて、たくさんの素晴らしい経験をした。けれど、そのどれひとつも自分一人で為し得ることではなかった。いつもいつも支えられていたのに、すべてを自分だけのモノのように、生きることすら軽んじていた私に訪れた、がんは、生き直せというチャンスだった。

先日、芥川賞を取った車いす生活を送る作家のインタビューを読んだ。健常者に偏ってフィットしたこの社会で、障害者として生きることの現実を、彼女は作品中でも赤裸々に教えてくれている。「生きる」ことは健常者だけのものではないのだ。当たり前のことなのに、私もこうなるまでそれを忘れながら漫然と、そして傲慢に毎日をやり過ごしていた。変わり映えのしない日々を恨み、いつしか未来を悲観して、投げ出したいとさえ思っていた。

なんという欺瞞、自分本位

贈られたたくさんの思いを得て、私こそが誰よりも一番に強く祈り、生きようとしなければならないと決意した。もうこれからの日々に何の不安もない。私は毎日今を乗り越えて必ず治癒し、あらゆる人に絶対に感謝を形にして還さなければならない。

そのために、懸命に、生きる。



2023年6月30日金曜日

夫婦という極小単位で余生を送るということ

長年夫婦を続けてきて、もはや何が良くて現状夫婦なのかということが分からなくなるほどのところまできてしましまった気がしている。

若いころならいくらでも挙げられただろう。優しい、穏やか、偉そうにしない、映画が好き、音楽が好き、買物が好き、好きな作家が同じ、立派な職業、金銭感覚も似ていて、好き嫌いもない…お見合いならこれ以上無いくらいマッチングしているのだろう。

しかしよくよく見てみたら、この中で不動の物は趣味と職業くらいではないか。趣味と職業など、その人の表面的特徴でしかなく、本質的な部分を形成しているものでは全くないのだ。

そして性格部分も若いときにだけ装っていた被り物だとしたら…?

本音や本質はもはや隠されず暴力的に明るみにさらされ始めた。本人は理論武装しているつもりだろうが、核心には私とは相容れない自分だけの常識があり、それを妻である私に今まさに押し付けようとしている。これは昔からそうだが、夫は私の絶対的な味方では決してないのだ。いや、でも先日の寝言は確かに存在する本心ではないのか?どちらが本来の姿なのか。わからない。

なぜ未だ夫婦でいるのか?必死で理由を探そうとしている。あらゆる粉飾をそぎ落とした先に残るものはなんなのか、この人をまだ嫌悪せず一緒に暮らす選択をしている訳はなんなのか…。幻滅している、嫌いだ、と夫に言われてもショックすらなく何も感じなかった自分を驚きながら見つめている。私のほうがとっくの昔にこの人を好きでいることを諦めていたんだ、と気付く。

子育てもほぼ終了し最後に残るのは夫婦という極小単位だ。ひとりの人間同士として一緒に人生を楽しめるのかどうか、それが全てではないかと近頃思う。エンタメの観点では数々の点で合致している。それは認める。


親友のような夫婦などとよく言うが、人生ここまできたら友でもきょうだいでも何でもいい、いつ来るとも知れないエンディングまで、時にはひとりで、時には共に楽しめたらそれでいい、と思う。その為には自分が壊れるような犠牲は絶対に払わない。身を守りつつ私は私の人生をデザインするのだ。 

2023年2月1日水曜日

夫の寝言

突然にやってきて私を苛む不調。

しゃがんで立った時のブラックアウト。いつもは感じないはずの頭部の重みが首にのしかかり、鈍痛をもたらす。

それはじわじわと広がってやがて目も開けていられなくなる。頭痛は吐き気すら誘発する。

フラフラと日頃より早く一人寝床に入った。過重な自分の頭を枕に沈めて痛くないポジションを探しているうちに眠りに落ちたようだった。

ふと目が覚めてじっと頭痛を自覚していると、隣で震える声が聞こえた。

「マキちゃんがどんな気持ちで…」
「マキちゃんにとりあえずいっかい謝って」
「黙って聞けっていうてるやろが!」

私の名前を何度も口にする、ハッキリとした夫の寝言だった。しばらく飲み込めず目を開けて咀嚼していた。夫は夢の中で私のために何かに向かって本気で憤りかなり怒っていた。

普段は事なかれ主義で、誰に対しても争わないし、冗談とも本心とも取れないようなことを私に対しても言う夫が、なぜか夢では大胆にも強気で誰かと戦っていた。私のために。

これがたとえ潜在として夫の中にあるだけで、一生、表には出てこないのだとしても、私は嬉しかった。今まで夫婦を続けてきていろいろなことがあったが、これからはこの人を心から信じられる、そう思えた。

どんな夢を見てたのか少し聞いてみたいけど、きっとおかしなつまらないことだろうからやめておこう


2022年9月6日火曜日

失った3年分の痛み

 ぱったりとなにもかもが止まったかのように失われた2019年から、ちょうど3年が経とうとしている。

ここまで本当に長かった。変わり映えのない毎日にうんざりし、いつ終わるとも知れない気の遠さに心身は擦り減っていった。白髪は大量に増え、就寝中は歯を食いしばっていた。肩に激痛がはしり、首のリンパ腺が腫れ、目の奥はズキズキしていた。ずっと収まっていた手荒れが再発しなかなか治らなかった。ストレスに蝕まれてゆく自分の身体を、私はただ茫然と眺めているしかなかった。

最後に出演したイベントがSNSに記録されていて、2019年となっていた。

そしてようやく今年その催しに再び出ることが決まった。3歳としをとってしまっていた。


年齢を重ねてからの数年は大した事ないと言われたりするが、こうして失ってみて初めて大切で貴重な3年間だったんだと強く思う。自分というものを大方もぎとられたような日々は、生きている意味が見出せず、耐え、凌ぎ、やり過ごすだけのものだった。


この間、決して少なくはない俳優や表現者が自ら命を絶った。さまざまな事情があるとはいえ、その想いがわかる気がしてしまう。それほどに過酷な喪失だった。


今、やっと穏やかに精神がバランスをとっているのを感じる。予定されたステージ、子どもの行事、旅行の計画や海外アーティストのコンサートの案内…それらを目にするだけで、あらゆる不調がみるみる鎮まっていくのがわかる。

また反対に、それらがなかった時間に私がどれだけ苛まれていたのかが実感され、強い恐怖を覚える。


瞬間瞬間を悔いのないように生きたい。失われた時を取り戻すためにも。

2021年8月23日月曜日

コロナ禍に吸い上げられる

 誰もが終息を願って何度も延期し、莫大な時間をかけて準備したプランを中止し、たとえ決行したとしても肩身は狭く、もちろんふれ合える喜びも、共に分かち合う喜びも、自分一人の中に収め鎮めなければいけない。

素晴らしいものであるだろうと想像していた、何年か越しの有観客での大ホールでの合奏演奏は、大袈裟に言うと恐怖と隣り合わせた、おおよそ表現する喜びとは縁遠いものだった。

終わってしばらくたち、残ったのは身体の疲労と、満たされず発散されずに吹き溜まったパフォーマンス欲のようなもの。

制限されるということは抑圧されるということで、それは萎縮を生み気持ちは閉じられていく。演奏という最も自己を解放し精一杯伝えようとするいとなみと、それは真逆のベクトルだ。


誰のせいにしたとしても終わりの見えない、希望を見出せない今が、とてもとてもつらい。

病とともに満ち足りた日々