2009年11月22日日曜日

子育て近況

①初めての遠足用に初めて作ったキャラ弁!気合い入ってます

②笑い始めた次女のみおちゃん。癒されてます。

③すっかりお姉ちゃんのさゆちゃん。大きくなりました。

2009年8月14日金曜日

いよいよ退院

やっとです。でもやはりちゃんと入院日数は理にかなってるのか、ひどい状態だった自分の身体がまるで奇跡のように元に戻ってるのがわかります。そう思うと10日間というのは決して長くはないですね。こんな短期間のうちに、切って赤ちゃんを出して、あんなに大きかったお腹が妊娠前のサイズになって、傷が治って、母乳も出せるようになるんですからスゴいです。

昨日は夫が自宅近所の愛用ケーキ屋さんで、ケーキを買って持って来てくれました。久しぶりの、絶品!食べてる間、幸福感でいっぱいになりました。

私がヒマな上に産後のホルモンの関係で頭が冴えて、夫という話し相手を得て、話題は次から次へと尽きることなく出てきます。夜中の電話しかり、お昼ごはんにも2日ほど付き合ってくれ、よく話を聞いてくれました。前回は私が精神的に不安定だったため、大喧嘩したりしましたが、今回は穏やかに入院生活を終えれそうです。多くの人にお世話になりました。本当に感謝!!

2009年8月12日水曜日

ヒマです

元気になると入院というものは、ヒマでヒマで仕方ないということがわかりました。赤ちゃんは本当に手がかからず、しっかり飲んでぐっすり3時間寝てくれます。その3時間がひとりでいると空虚なんです。堅いベッドにずっと座っているので、さすがの私のおしりも限界です…


インテリア雑誌を一冊くまなく読んで家を建てるときの空想プランも立てました。SAVVYを隅から隅まで読んで、京都めぐりの仮想計画も立てました。ハリポタの2巻も読破してしまいました。雑誌に載ってた本やCDをケイタイからネット通販で買いました。さらに買い物欲が出てきて、頑張ったご褒美だ!と靴と財布とワンピースもケイタイで購入してしまいました。

あぁでももうすることがなーい!!夜の時間は今日も夫に電話して、よもやま話で埋めることにします…

2009年8月11日火曜日

入院生活

料金の高い特室から、幸いにも早い時期に希望の個室に移れたので、ひと安心。ちょうど家族がみんないたので全ての引っ越しをお任せする。親たちは競って荷物を運んでくれる。自分は恵まれている、幸せものだなぁと感じる。長女の世話も実家の母と義理の母が、取り合いギリギリでみてくれる。その光景は少々ヒヤヒヤするが、感謝すべきことなんだなぁと思うようにしている。


私が前回に引き続き入院したのは実家から至近距離の、母も3度の出産をそこでした、歴史ある市立病院。設立当初から産婦人科があり、医院長が産科医だったこともある、産科では有名な病院で、事実、産婦人科病棟がある建物はきれいで新しくなっている。

何故、私が二度目の出産もこの病院にしたかというと、まずは看護師、助産師さんの厳しくもあたたかい指導。すぐに安きに流れる私にはぴったりの看護態勢だったからだ。産科では医師よりも助産師、看護師の役割はものすごく大きいものなのだと思う。産後のひだちや授乳も、彼女らの看護と励ましなくしては絶対にスムーズにはいかない。私はこの病院で本当に助けられた。ピンクのカーテンやフランス料理の病院食や産後のエステはないけれど、ここを退院すれば家に帰っても自信を持って子育て出来る気がする。たとえシングルマザーだとしてもやっていけるようにプログラムされている。私がこの病院を選ぶもうひとつの理由もそこにあって、ここにはいろんな境遇のいろんな事情をかかえた母親たちが、みんな同じように痛みと眠気に耐えて授乳室に集まり、悩みながら増えない母乳と格闘していて、私はそこに身を置くことがすごくしっくりくるのだ。格好など気にする余裕もなく、髪を振り乱した、子どもを産んだばかりの生物としての母たちがそこにはいる。そんな彼女らとは何故だか分からないが、うわべだけの探りあった会話ではなく、何か昔からの知り合いのような話が出来る。


私と同じ時期に生んだ若い茶髪の母親の腕にはリストカットのような跡がいくつもあった。長女を生んだとき、談話室で、点滴を刺されたままの重症の妊娠高血圧症の女性は、姑との同居がいかにストレスで苦しいかということを赤裸々に話した。


特定の人たちだけが集まるような場所が私は昔から嫌いだ。女性専用車両にもとても違和感を覚えたし、昼間ヒマそうな金持ちの主婦が集まってランチしているのを見ると、その店を出たくなる。

カッコいい言い方をすれば、社会には本当は様々な人がいて成り立っていて、そのことに目を背けてはいけないんだと思う。そして私は、そういうバラエティーにとんだ人々と出会うのが好きだ。


つらかった症状が収まり、だんだんとヒマを持て余してきたので、売店で雑誌を買った。VERYだ。ツッコミ所満載である。もちろん良い記事もたくさんあったが、モール妻、奥サバ、イケダン…皆さん何の事か分かりますか??

2009年8月10日月曜日

第二子出産ドキュメント

ついに来ました、この時が。これを書く日がまたやってきたのです。なんだか妊娠してから今日までものすごく早かった…やっぱり二人目は他にやることや考えることが山ほどあって、ゆっくりマタニティーライフを満喫、なんて風にはいきません。でもその代わり、数々のマイナートラブルをうまく紛らわせることが出来るのも確かです。


と、まぁ前置きはさておき、今回はどんな出産になったのか、ドキュメント形式で記録しておこうと思います。


一人目が陣痛の後の帝王切開というフルコースだったので私の入院する病院では自動的に次も帝王切開ということになりました。手術なのでもちろん誕生日もあらかじめ決定済みです。


8月4日、朝10時前から両親、娘と入院手続き。夫は仕事で来れず。まだ何事もない入院なのでまるでホテルに長期滞在でもするような気分。希望していた部屋が空いてなく、二人待ちと言われたので仕方なく特室に入る。主治医の先生からの説明を家族で聞き、娘はその間大量のドロップをほうばって食べ、私は大量の手術に関する恐ろしいリスクについての同意書や看護や病室に関する書類にサインをする。最近は事細かに説明を受け確認をされるのだと実感。その後は採血があったり、切る部分の毛剃りをして、普通に病院食を食べて9時には消灯となる。それ以降は絶飲食。眠れるわけなく、持ってきた雑誌をくまなく読む。


8月5日。朝のうちに病院着に着替えましょうと言われ、いよいよかと少し緊張。点滴を打たれ名前コードの腕輪を付けられかなり拘束された感じ。今回も家族全員が勢揃いした病室でじっとその時を待つ。1時前になり「さぁ行きましょか」という看護婦さんの声がかかりベッドごと病室から運ばれる。後ろで娘の不安気な声が聞こえる。手術室に入る前、明るく手をふったが、娘の顔はただならぬ雰囲気を感じてこわばっていた。後で聞くと私の姿が見えなくなったとたん、大泣きしたらしい。


今回は緊急ではないので手術はゆったりと生々しく進んだ。麻酔医や看護師が逐一どのようなことをしてこうなりますよ、と説明してくれるので見えなくても想像が膨らみ、私はかえって恐怖心が増した。腰に麻酔をして下半身だけ麻痺させるので、まずは背骨を出し身体全体を丸めるように指示される。大きなお腹を見つめながら未だに活発に動いている赤ちゃんのことだけを感じよう、と努力して怖さと戦う。だんだんと感覚を失って体がなま暖かくなってくる。消毒されカバーがかけられチョキンチョキンという音が聞こえる。看護師さんが手を握ってくれる。とても心強い。麻酔が下半身だけでなく胸の辺りまで上がってきて息が苦しくなってくる。何か重いものにのしかかられているような苦痛。ほどなくしてお腹を押され「肩まで出ましたよ〜」と言われるが否やアーン!!という大きな泣き声。私は元気な…とつぶやくのがやっと。目隠しの上から医師の顔がチラッと覗き、「オメデト」と声をかけてくれる。「2時ちょうどでーす」という声も聞こえる。しばらくしてまだ脂で真っ白の赤ちゃんを助産師さんが顔のところまで連れてきてくれ、触れさせてくれる。ホッとしたのもつかのま、まだ後の処置が残っていて、ますます苦しい。生んでから後がとても長く感じられる。やっと全てが終了し手術室からでると家族の笑顔が待っていた。みんな先にひとしきり赤ちゃんを抱っこしたようだ。娘は泣き疲れて眠っていた。


と、このような経過で出てきた次女ですが、早く出された割にはぽっちゃりしてすこぶる元気です。私の方はバランスが取れてるとはよく言ったもので、出産前がラクなら出産後が辛くて、かなり辟易しました。今回は長女の時の様にドラマチックではなかったですが二歳の娘が涙声で「母さんが心配やってん」と言ってくれたときと、産後のつらさと戦っているときに、ケイタイにダウンロードしておいたフォーレのレクイエムをひとり堅いベッドの上で聴きながら、その旋律の美しさに心が緩んだ時に、さすがに涙がこぼれた、そんな出産でした。

2009年6月29日月曜日

保育園生活続報

さゆちゃんが保育園に通園し始めて、そろそろ一ヶ月がたとうとしています。

まだ一ヶ月?もう一ヶ月?


それにしても、我が子ながら通い始めてからの変化にはただただ驚くばかりです。


まず大きな変化としてほぼトイレトレーニングは完了しました。もう普通のパンツをはいています。

そう!紙オムツでなく!
言うんです!出る前に「おしっこ出るー」って!



ウソみたい…


そしてトイレの後はなんと!一人でパンツとズボンをはきます。
靴下も靴も自分で履きます!脱ぎます!


なんだこの急速な自立は!?


最初は、朝、送って行って別れるときは、先生に抱っこされて涙を流して泣いていたさゆちゃん。

それが、だんだん涙が出なくなり、顔だけの半べそになり、自分から先生に抱っこしてもらいにいくようになり、そのうち「母さんバイバイしよかー」と自ら言い出し、今日に至っては、抱っこしてもらはなくても「バイバーイ」と私を見送ってくれました。見えなくなるまでいつまでも手を振ってくれていたのが少しせつないくらいでした。


子どもってとてもたくましく、与えられた環境に順応していくんですね。程度や早さの差こそあれ。


給食のおかわりは初日からしていたさゆちゃんですが、お昼寝は今ひとつゆっくり寝れていないようでした。3,40分すると目が開いて、ひとりでおしゃべりが始まるんです、と連絡ノートに書かれていました。

でも本格的に暑くなってきた先週ぐらいから、急に2時間丸々眠るようになりました。体力的なこともあるでしょうが、保育園というところが安心できる場所として認識できたんじゃないかと思っています。


それから、家ではさせてやれない遊びも、保育園ではたくさんできるのがやっぱり何よりです。
粘土遊びに砂遊び、泥んこ遊び、もちろん遊具でも遊び、沐浴、絵の具やクレヨンを使ってお絵かき…
身重のこの体では到底つきあえないような事ばかりです。


そして私の方はと言えば、一人目の時より体力があり、妊娠9ヶ月とはいえ元気に動くことが出来る上、家のことや雑用がホントにはかどって片付き、ストレスフリーな毎日。その分、ごはんを作ることも頑張れるし、さゆちゃんや、夫が帰ってきてからもおもしろいように疲れず、働けるのです。



保育園が始まる前の私とはまるで別人のよう!



親子共々生まれ変わりました。あ、2歳の娘は生まれ変わるには早すぎましたか…成長、と言わないとなんかおかしいですね。


しかし、私と娘がたくましくなった反面、ひとりそれに乗じてか、ぐうたらになった人もいます。


前よりあまりいたわってくれないし!!


二人目なんてこんなもんかも…と諦めてますが。ちぇ。

2009年6月17日水曜日

産前最後の大仕事2

本番も押し迫った6月。残り少ない練習日。
気がつけば完全におしりに火がついていました。

慌てて、何とか臨時練習をねじ込み、ついに前々日、ホールでのリハーサルの日になってしまいました。

密度の高い、集中した、効率の良い臨時練習が出来たことで、リハーサルは比較的スムーズに進行していきました。
司会の台本も初めて明らかになり、音響効果がかけられ、照明が入り、舞台の全体像が見えてきます。
自分たちだけで一曲一曲を練習しているだけでは分からない、コンサートの流れのようなものが出来上がっていきます。

おもしろい演奏会になりそう!という気分がメンバーに広がり、ここに来てやっと良い雰囲気が生まれました。

夕方6時半までという長時間、保育園で待たされた娘を急いで迎えに行って、そのまま二人でその日は外食。たのみすぎたおかずを包んでもらって夫の夕食に。さすがにへとへとでした。


土曜日をゆっくり休養に充てて、日曜日の本番にのぞみました。ゲネは午前11時からです。


自分のことだけしていれば良かった昔とは違って、朝から朝ごはんを準備し、さゆちゃんの世話をし、それからやっと自分の身支度です。
時間の使い方が前とは随分変わりました。ある程度不測の事態を見越して、計画を立てなければなりません。実際その日の朝に限って、おしゃれさせたプチバトーの上下に見事に牛乳をこぼしてくれました。焦りと苛立ちでキレそうになるのをぐっとこらえ、後から起きてきた夫の、現地まで車で送ってくれるという申し出に少し気を取り直し、伸びっぱなしの髪をなんとか形にしました。

急いで車に乗り込み、夫の運転だとイライラするので自分でハンドルを握りました。おなかかが苦しくなって以来シートベルトは締めてません。

やすらぎの道にさしかかった頃、対向車が不穏なパッシングをしました。案の定その先で、止まれの赤い旗を振る初老の警官…

「シートベルトせなあかんわー」
「妊娠中なんですがっ」

苛立ちのピークをやっとのことで隠して、それだけ言いました。何台もの車をやりすごし、本線に戻れた時には到着ギリギリの時間になっていました。

今日はついてない日かも…

という不吉な予感を振り切って、滑り込みでホールに到着です。軽い通し稽古を終え、あっという間に開場30分前。支給されたサンドイッチとジュースをのどに押し込み、化粧をし、ドレスに着替えます。おなかが大きくても入るドレスをアメリカ直輸入サイトで購入したのですが、さすがに妊娠後期にもなると、自分一人ではファスナーを上げることができません。結局二人がかりで手伝ってもらいました。

舞台袖にスタンバイし、メンバー全員にも緊張感が漂ってきました。「出産よりはマシだ!」なんて呟くメンバーもいます。

下手の分厚いドアが開き、「お願いします!!」とお互いを励ますように声を掛け合って、眩しいライトと拍手の中へ。もう後戻りは出来ない、前へ進むしかないこの瞬間が、私は実はとても好きです。


会場は予想よりも子どもたちの姿が目立ちます。お客さんの方も緊張しているのが空気感で分かります。みんな固唾をのんで、何が起こるのかじっと待っているようです。

5人での短い小品を二曲無事に終え、ソロのコーナーとなりました。演奏前に司会者がインタビューする形で、客席もだんだんと和んできたようです。私は最後に吹いたのですが、ホールに残る響きを楽しめるくらいの余裕はあったようです。音の出もまずまずでした。

次の台詞入りの曲では、終曲で笑い声も起こり、反応が良かったことに安堵しました。

後半の大曲で少し子どもたちに疲れが見えましたが、最後のお馴染み曲のメドレーでは手拍子も飛び出して、大きな拍手をもらって終えることができました。

オマケは楽器体験コーナー。フルートに初めて触れるこどもたちが私の前に列を作ってくれました。楽器を持って呆然としてる子、固まってしまう子、ニコニコ嬉しそうな子、本当に様々です。



途中舞台に上がって来た乱入者、わが娘が、一番堂々とフルートを構えて、舞台に立ってポーズを取っていたのは言うまでもありません…やれやれ

2009年6月15日月曜日

産前最後の大仕事


春から計画が進んでいたアンサンブルの本番が先日終わりました。



妊娠8ヶ月に突入し、さすがの私も、大丈夫だろうか…と危惧しながらの練習、そして準備期間でしたが、やってみると何事もなく、検診でも何の問題もなく、おなかの子はすこぶる元気に動き回ってるし、フルートを吹くことはこれがまた、家事ほども疲れません。


打ち上げで聞いた話ですが、アンサンブルのメンバーはこっそり代役の事も考えてたみたいです。私のタフさにしきりに感心してくれてました。

今回のコンサートは、ホール主催での助成公演、といった感じの企画でした。…といった感じという言い方をしたのは、これがホールとしても初めての試みで、最後までそのビジョンというか、コンセプトがメンバー全員つかみづらく、アイデアがなかなか固まらなかったからです。

ま、そんな裏方事情を語っても何にもおもしろくないので、やっぱり楽しかった表の方なるべくブログには残したいと思います。


もうかれこれ、結成7年を迎えたアンサンブルcotoは木管五重奏を主体とした集まりで、5種類の性格というか、人柄が奇跡的に(言い過ぎでなく)作用して、これまで大きなトラブルもなく、存続し、しかも活動をそれなりにすることが出来ている、自分で言うのもおかしいですが、珍しいグループです。

今回は私たちもそろそろ子持ちになったり、自立する年齢になったということもあり、社会的な役割を果たすような企画で演奏会をしようということで、アンサンブルcotoのファミリーコンサートシリーズの第一弾として、「動物」が登場する音楽をあつめての演奏会にしようということになりました。

題して「動物たちの音楽祭」。

いつものように妹にチラシデザイン(写真)を依頼し、かなり家族向けにアピールできるイメージになりました。

当初、ZOOという曲がやりたい!というところから始まったのですが、その他のプログラムを考えるのに実は結構苦労を要しました。なにせ、木管アンサンブルというジャンルはレパートリーが極端に少なく、あっても近現代曲が多くて、一般の人々にキャッチーなものはほとんど無いのです。結局プログラムが固まったのは半月前、というドタバタになってしまいました。

メンバーが一人一人それぞれにフリー音楽家としての仕事を持ち、活動しているので、合奏の練習日を取ることも至難の業でした。全員が都合の良い日があることが奇跡のように思えるほど、スケジュールのすり合わせは困難を極めました。そこに加えて長年のつきあいの馴れ合いが悪い方に出てしまい、なかなか効率の良い集中した練習が出来ません。

と、どうしても反省点ばかり思い出され、つい書いてしまいますが、例によってコンサートの模様はまた次回につづく…とします。このギリギリの追い詰められた状況の中、さて、どんな本番になったでしょうか。近日中には必ず更新します!

2009年6月7日日曜日

さゆちゃん入園

はやりの待機児童というものにされ、がっかりしていた春でしたが、忘れた頃に市役所から電話がありました。

電話口の役人さん相手に「嬉しい…!!」とあからさまに喜びを表してしまった私ですが、いざ、保育園に入る準備をするのはなかなか大変でした。

やっぱりなんといっても持ち物の名前付け。はりきっていたのと、凝り性なのがあいまって、名前シールもこだわって作り、アイロンで一枚一枚くっつける作業を深夜までやりました。タオルエプロン、お手ふきタオル、手洗いタオル、下着類にTシャツ、ズボン、歯ブラシ、コップ、お昼寝布団に至るまですべてに名前が必要です。でもさゆちゃんが保育園に通えることを想像すると、少しも苦ではなく、何か強いエネルギーが私を後押しします。


身重の体にお布団と大量の持ち物を下げて、いよいよ初登園の朝です。

妊娠中というのもあって、朝はどうしても意志が弱くなり、起きれなかった私が、一番に目覚め、朝ごはんの準備をし、娘に歯磨きまでさせることができました。劇的な変化に自分でも驚きながら、朝からシャキシャキしていることがちょっと気持ちよくもあります。

一緒に“うさぎ①組”のお部屋に入り、かごやタンスに必要なものを入れていきます。慣れない初日なので送ってきた他のお母さんお父さんを見よう見まねで、整えていかないといけません。そのどさくさにまぎれて子どもたちは早々に帽子をかぶって園庭に出て遊び始めます。さゆちゃんも初日はそんな感じで、よく分からないまま、少し私と別れるときに泣きべそをかいたくらいで、一日楽しく過ごしたようでした。

その後も、だんだん状況を飲み込んで泣き出しはするものの、連絡帳には毎日“おかわり”の文字。

さすが我が娘…。


寝付きがよくなり、食欲もさらに増し、走れる距離が伸び、抱っことあまり言わなくなってくれた娘の小さな成長を喜びつつ、家事がはかどる、自由に出掛けられる、フルートの練習に集中できる幸せのために、来週も早起きして送り出します。

私にはさびしさよりも、さゆちゃんが一日思いっきり遊んで私がストレス無く過ごせることの方が勝ってるように思います。薄情に思われるかもしれませんが…


とにかく親子共々健全で、楽しい日々の始まりです!!

2009年5月28日木曜日

続・フルートパーティー!


すっきりと晴れた朝です。
親子三人、早起きにそなえて前の夜から実家入りし、万全の態勢でその日を迎えました。

実家の親が用意してくれた、大量のサラダと果物とヨーグルト付きの朝食を食べきれないほど食べ、満腹でゆっくりしてたら、あっという間に出発の時間になりました。

それでも、ホール開館の5分前に到着し、開くのを車中で待って、さあ、リハーサルです。

照明、ステージマネージャー・父。
写真撮影・夫。
打ち上げパーティーの準備と子守・母と叔母。
スペシャルゲストのダンサーは従妹。

そして、司会進行とピアノ伴奏、私。という完全なる手作り発表会の始まり~

9時からまず、フルートとバレエの「月の光」のリハをし、音響チェック(これだけはホールのスタッフ担当。しかし本番に思わぬ結果が…泣)
9時半にはプログラム1番の方から次々と舞台稽古をしてゆきます。

9時には開いてますよ、と一部の生徒さんに伝えましたが、なんとぞくぞくと皆さん朝からはりきって集まって来られます。楽屋を一部屋しか借りてなかったため、音出しをする生徒さんはすぐに外にあふれてしまいました。

廊下や踊り場で熱心に練習する生徒さんたち。中にはマイ譜面台を立ててイヤフォンをつけながら、という人もいます。舞台裏は、フルートの音でいっぱいになりました。

私がレッスンしている方々は仕事や家庭を持った大人の人が大半です。学生は2割程度でしょうか。
そんな方々が本番前に必死になって練習されている姿は、なんというか教える方の私としては嬉しくもあり、ほほえましくもあり、申し訳なくもあり…でも仕掛け人としてニヤリとしたくなるところもあります。

一人15分のリハーサルはあまりにも短く感じますが、本番が始まって、舞台リハを無理矢理にでもやって良かったな、と思いました。何より私自身が落ち着いて弾くことができたし、リハでアドバイスしたことが、見事に本番で生かせた生徒さんもいました。

お客さんも入り、ライトをあびて臨む本番はどんな人でも緊張するものです。それはもう、普段には体験しようと思っても出来ない、非日常の世界です。まさかとって食われる訳でもないのに、緊張は勝手にやってきて、鼓動をはやめ、手を冷やし、震えさせ、口の中を乾かすんですね。(ちなみに私は少しおなかを下しました)

それでも、写真を撮りながら熱心に拍手をしてくれていた夫は、終演後、興奮気味に、みんなとても素晴らしかった、と言いました。

教えているのは私一人なのに、それぞれの個性はきわだっています。音色も音楽性も一人一人全然違っています。結果的に聴いていてもとてもおもしろい発表会になったんじゃないかと思います。

私の狙いどうりかそれ以上に、みなさん打ち上げまでにすっかり打ち解けて、お互いに刺激しあってくださったようです。自分ももっとがんばれるんじゃないか、と終わってますます意欲を語ってくれた人が
ほとんどでした。

少しのお酒で、生徒さん同士の境遇の話題などで盛り上がり、撤収時間ぎりぎりまでおしゃべりは続きました。もっと疲労がどっと来るかと思っていた私も、楽しさと満足感で帰宅後も疲れは感じませんでした。

ホールで演奏するという非日常体験と、それを終えた後の爽快感が、皆さんにやみつきになれば私の目論見は成功です。やっぱり芸術は披露することに醍醐味があると私は思っていますから。


フルートパーティー最後のプログラム、威信をかけた?私のフルート演奏の伴奏の音響レベルが低くてやり直しの悲劇に…しかも楽器をかまえる間もなく音がなってしまい、焦ったバランスの悪い妊婦の体はあっけなくよろけて、なんとも格好の悪い“シメ”となりました。

プロのホールスタッフさんっっほんま頼みますよ~~
 

2009年5月24日日曜日

初!フルートパーティー


二人目出産前のこの時期に、発表会を思い切って開催することに決めました。


私がレッスンしている生徒さんだけの、発表会。しかも私自身初めての主催です。

でも、限られた時間の中で準備を進めていくうち、とても楽しくなってきました。


一人一人の選曲から始まり、ホールを借りに行き、タイムスケジュール作り、会費の計算、プログラム作り…演奏前に生徒さんそれぞれを紹介するための一言プロフィールも考えました。


この企画を思いついて以来、私の中では、はっきりしたイメージが浮かんでいました。

大人の、趣味の方が多いので、堅苦しくない楽しい発表会にしよう。個人レッスンなので、生徒さん同士が出会い、交流することは初めてだし、発表会後に打ち上げパーティーをしてせっかくだしこの機会に打ち解けてもらおう!


実は発表会をフルートパーティーと銘打ったのは私の師匠の師匠です。指を素早く動かすことや、こまかい技術のことはほとんど言わず、大らかな、音楽全体を本当に大切にすることを教えてくれるその先生のスタイルの影響は、もはや私の演奏やレッスンの大部分を占めてしまっているほどです。


フルートパーティーという名前にするだけで、なんとなく少し和むし、競争という感じはしなくなるし、素晴らしくステキなアイデアのネーミングです。


13人の生徒さんのレッスンを怒濤のようにこなし、自分で全部すると決めたピアノ伴奏の練習(実は一番大変でした…)もなんとか必死に形にして、とうとうフルートパーティー当日を迎えました。



さて、どのような会になったか、一度には書ききれないので次回の記事につづく…ということにします。



これからどれだけ書けるかわかりませんが、大切なおいしい思い出をたくさん綴れるよう更新に励むつもりです。どうぞ気長にお付き合いくださいね!

がんができて。