2023年6月30日金曜日

夫婦という極小単位で余生を送るということ

長年夫婦を続けてきて、もはや何が良くて現状夫婦なのかということが分からなくなるほどのところまできてしましまった気がしている。

若いころならいくらでも挙げられただろう。優しい、穏やか、偉そうにしない、映画が好き、音楽が好き、買物が好き、好きな作家が同じ、立派な職業、金銭感覚も似ていて、好き嫌いもない…お見合いならこれ以上無いくらいマッチングしているのだろう。

しかしよくよく見てみたら、この中で不動の物は趣味と職業くらいではないか。趣味と職業など、その人の表面的特徴でしかなく、本質的な部分を形成しているものでは全くないのだ。

そして性格部分も若いときにだけ装っていた被り物だとしたら…?

本音や本質はもはや隠されず暴力的に明るみにさらされ始めた。本人は理論武装しているつもりだろうが、核心には私とは相容れない自分だけの常識があり、それを妻である私に今まさに押し付けようとしている。これは昔からそうだが、夫は私の絶対的な味方では決してないのだ。いや、でも先日の寝言は確かに存在する本心ではないのか?どちらが本来の姿なのか。わからない。

なぜ未だ夫婦でいるのか?必死で理由を探そうとしている。あらゆる粉飾をそぎ落とした先に残るものはなんなのか、この人をまだ嫌悪せず一緒に暮らす選択をしている訳はなんなのか…。幻滅している、嫌いだ、と夫に言われてもショックすらなく何も感じなかった自分を驚きながら見つめている。私のほうがとっくの昔にこの人を好きでいることを諦めていたんだ、と気付く。

子育てもほぼ終了し最後に残るのは夫婦という極小単位だ。ひとりの人間同士として一緒に人生を楽しめるのかどうか、それが全てではないかと近頃思う。エンタメの観点では数々の点で合致している。それは認める。


親友のような夫婦などとよく言うが、人生ここまできたら友でもきょうだいでも何でもいい、いつ来るとも知れないエンディングまで、時にはひとりで、時には共に楽しめたらそれでいい、と思う。その為には自分が壊れるような犠牲は絶対に払わない。身を守りつつ私は私の人生をデザインするのだ。 

2023年2月1日水曜日

夫の寝言

突然にやってきて私を苛む不調。

しゃがんで立った時のブラックアウト。いつもは感じないはずの頭部の重みが首にのしかかり、鈍痛をもたらす。

それはじわじわと広がってやがて目も開けていられなくなる。頭痛は吐き気すら誘発する。

フラフラと日頃より早く一人寝床に入った。過重な自分の頭を枕に沈めて痛くないポジションを探しているうちに眠りに落ちたようだった。

ふと目が覚めてじっと頭痛を自覚していると、隣で震える声が聞こえた。

「マキちゃんがどんな気持ちで…」
「マキちゃんにとりあえずいっかい謝って」
「黙って聞けっていうてるやろが!」

私の名前を何度も口にする、ハッキリとした夫の寝言だった。しばらく飲み込めず目を開けて咀嚼していた。夫は夢の中で私のために何かに向かって本気で憤りかなり怒っていた。

普段は事なかれ主義で、誰に対しても争わないし、冗談とも本心とも取れないようなことを私に対しても言う夫が、なぜか夢では大胆にも強気で誰かと戦っていた。私のために。

これがたとえ潜在として夫の中にあるだけで、一生、表には出てこないのだとしても、私は嬉しかった。今まで夫婦を続けてきていろいろなことがあったが、これからはこの人を心から信じられる、そう思えた。

どんな夢を見てたのか少し聞いてみたいけど、きっとおかしなつまらないことだろうからやめておこう


がんができて。