2009年8月14日金曜日

いよいよ退院

やっとです。でもやはりちゃんと入院日数は理にかなってるのか、ひどい状態だった自分の身体がまるで奇跡のように元に戻ってるのがわかります。そう思うと10日間というのは決して長くはないですね。こんな短期間のうちに、切って赤ちゃんを出して、あんなに大きかったお腹が妊娠前のサイズになって、傷が治って、母乳も出せるようになるんですからスゴいです。

昨日は夫が自宅近所の愛用ケーキ屋さんで、ケーキを買って持って来てくれました。久しぶりの、絶品!食べてる間、幸福感でいっぱいになりました。

私がヒマな上に産後のホルモンの関係で頭が冴えて、夫という話し相手を得て、話題は次から次へと尽きることなく出てきます。夜中の電話しかり、お昼ごはんにも2日ほど付き合ってくれ、よく話を聞いてくれました。前回は私が精神的に不安定だったため、大喧嘩したりしましたが、今回は穏やかに入院生活を終えれそうです。多くの人にお世話になりました。本当に感謝!!

2009年8月12日水曜日

ヒマです

元気になると入院というものは、ヒマでヒマで仕方ないということがわかりました。赤ちゃんは本当に手がかからず、しっかり飲んでぐっすり3時間寝てくれます。その3時間がひとりでいると空虚なんです。堅いベッドにずっと座っているので、さすがの私のおしりも限界です…


インテリア雑誌を一冊くまなく読んで家を建てるときの空想プランも立てました。SAVVYを隅から隅まで読んで、京都めぐりの仮想計画も立てました。ハリポタの2巻も読破してしまいました。雑誌に載ってた本やCDをケイタイからネット通販で買いました。さらに買い物欲が出てきて、頑張ったご褒美だ!と靴と財布とワンピースもケイタイで購入してしまいました。

あぁでももうすることがなーい!!夜の時間は今日も夫に電話して、よもやま話で埋めることにします…

2009年8月11日火曜日

入院生活

料金の高い特室から、幸いにも早い時期に希望の個室に移れたので、ひと安心。ちょうど家族がみんないたので全ての引っ越しをお任せする。親たちは競って荷物を運んでくれる。自分は恵まれている、幸せものだなぁと感じる。長女の世話も実家の母と義理の母が、取り合いギリギリでみてくれる。その光景は少々ヒヤヒヤするが、感謝すべきことなんだなぁと思うようにしている。


私が前回に引き続き入院したのは実家から至近距離の、母も3度の出産をそこでした、歴史ある市立病院。設立当初から産婦人科があり、医院長が産科医だったこともある、産科では有名な病院で、事実、産婦人科病棟がある建物はきれいで新しくなっている。

何故、私が二度目の出産もこの病院にしたかというと、まずは看護師、助産師さんの厳しくもあたたかい指導。すぐに安きに流れる私にはぴったりの看護態勢だったからだ。産科では医師よりも助産師、看護師の役割はものすごく大きいものなのだと思う。産後のひだちや授乳も、彼女らの看護と励ましなくしては絶対にスムーズにはいかない。私はこの病院で本当に助けられた。ピンクのカーテンやフランス料理の病院食や産後のエステはないけれど、ここを退院すれば家に帰っても自信を持って子育て出来る気がする。たとえシングルマザーだとしてもやっていけるようにプログラムされている。私がこの病院を選ぶもうひとつの理由もそこにあって、ここにはいろんな境遇のいろんな事情をかかえた母親たちが、みんな同じように痛みと眠気に耐えて授乳室に集まり、悩みながら増えない母乳と格闘していて、私はそこに身を置くことがすごくしっくりくるのだ。格好など気にする余裕もなく、髪を振り乱した、子どもを産んだばかりの生物としての母たちがそこにはいる。そんな彼女らとは何故だか分からないが、うわべだけの探りあった会話ではなく、何か昔からの知り合いのような話が出来る。


私と同じ時期に生んだ若い茶髪の母親の腕にはリストカットのような跡がいくつもあった。長女を生んだとき、談話室で、点滴を刺されたままの重症の妊娠高血圧症の女性は、姑との同居がいかにストレスで苦しいかということを赤裸々に話した。


特定の人たちだけが集まるような場所が私は昔から嫌いだ。女性専用車両にもとても違和感を覚えたし、昼間ヒマそうな金持ちの主婦が集まってランチしているのを見ると、その店を出たくなる。

カッコいい言い方をすれば、社会には本当は様々な人がいて成り立っていて、そのことに目を背けてはいけないんだと思う。そして私は、そういうバラエティーにとんだ人々と出会うのが好きだ。


つらかった症状が収まり、だんだんとヒマを持て余してきたので、売店で雑誌を買った。VERYだ。ツッコミ所満載である。もちろん良い記事もたくさんあったが、モール妻、奥サバ、イケダン…皆さん何の事か分かりますか??

2009年8月10日月曜日

第二子出産ドキュメント

ついに来ました、この時が。これを書く日がまたやってきたのです。なんだか妊娠してから今日までものすごく早かった…やっぱり二人目は他にやることや考えることが山ほどあって、ゆっくりマタニティーライフを満喫、なんて風にはいきません。でもその代わり、数々のマイナートラブルをうまく紛らわせることが出来るのも確かです。


と、まぁ前置きはさておき、今回はどんな出産になったのか、ドキュメント形式で記録しておこうと思います。


一人目が陣痛の後の帝王切開というフルコースだったので私の入院する病院では自動的に次も帝王切開ということになりました。手術なのでもちろん誕生日もあらかじめ決定済みです。


8月4日、朝10時前から両親、娘と入院手続き。夫は仕事で来れず。まだ何事もない入院なのでまるでホテルに長期滞在でもするような気分。希望していた部屋が空いてなく、二人待ちと言われたので仕方なく特室に入る。主治医の先生からの説明を家族で聞き、娘はその間大量のドロップをほうばって食べ、私は大量の手術に関する恐ろしいリスクについての同意書や看護や病室に関する書類にサインをする。最近は事細かに説明を受け確認をされるのだと実感。その後は採血があったり、切る部分の毛剃りをして、普通に病院食を食べて9時には消灯となる。それ以降は絶飲食。眠れるわけなく、持ってきた雑誌をくまなく読む。


8月5日。朝のうちに病院着に着替えましょうと言われ、いよいよかと少し緊張。点滴を打たれ名前コードの腕輪を付けられかなり拘束された感じ。今回も家族全員が勢揃いした病室でじっとその時を待つ。1時前になり「さぁ行きましょか」という看護婦さんの声がかかりベッドごと病室から運ばれる。後ろで娘の不安気な声が聞こえる。手術室に入る前、明るく手をふったが、娘の顔はただならぬ雰囲気を感じてこわばっていた。後で聞くと私の姿が見えなくなったとたん、大泣きしたらしい。


今回は緊急ではないので手術はゆったりと生々しく進んだ。麻酔医や看護師が逐一どのようなことをしてこうなりますよ、と説明してくれるので見えなくても想像が膨らみ、私はかえって恐怖心が増した。腰に麻酔をして下半身だけ麻痺させるので、まずは背骨を出し身体全体を丸めるように指示される。大きなお腹を見つめながら未だに活発に動いている赤ちゃんのことだけを感じよう、と努力して怖さと戦う。だんだんと感覚を失って体がなま暖かくなってくる。消毒されカバーがかけられチョキンチョキンという音が聞こえる。看護師さんが手を握ってくれる。とても心強い。麻酔が下半身だけでなく胸の辺りまで上がってきて息が苦しくなってくる。何か重いものにのしかかられているような苦痛。ほどなくしてお腹を押され「肩まで出ましたよ〜」と言われるが否やアーン!!という大きな泣き声。私は元気な…とつぶやくのがやっと。目隠しの上から医師の顔がチラッと覗き、「オメデト」と声をかけてくれる。「2時ちょうどでーす」という声も聞こえる。しばらくしてまだ脂で真っ白の赤ちゃんを助産師さんが顔のところまで連れてきてくれ、触れさせてくれる。ホッとしたのもつかのま、まだ後の処置が残っていて、ますます苦しい。生んでから後がとても長く感じられる。やっと全てが終了し手術室からでると家族の笑顔が待っていた。みんな先にひとしきり赤ちゃんを抱っこしたようだ。娘は泣き疲れて眠っていた。


と、このような経過で出てきた次女ですが、早く出された割にはぽっちゃりしてすこぶる元気です。私の方はバランスが取れてるとはよく言ったもので、出産前がラクなら出産後が辛くて、かなり辟易しました。今回は長女の時の様にドラマチックではなかったですが二歳の娘が涙声で「母さんが心配やってん」と言ってくれたときと、産後のつらさと戦っているときに、ケイタイにダウンロードしておいたフォーレのレクイエムをひとり堅いベッドの上で聴きながら、その旋律の美しさに心が緩んだ時に、さすがに涙がこぼれた、そんな出産でした。

がんができて。