2019年11月25日月曜日

「生理」を考える

最近までずっと愛読している漫画「生理ちゃん」が、大丸デパートとコラボしたのに関連し、物議を醸してしまった。

店員が試験的に任意で付けるか選べることになった、生理中バッチなるものに対しての、世間の反発がもの凄かったのだ。

 私は驚いてしまった。そのバッチを導入する課程を漫画でも読んでいたし、その漫画がアップロードされた時には、否定的な反応はほとんどなく、私もここまで進んだ企画が今、出来るとは!と感心していた。その無数の炎上コメントを読む中で、おそらく同性からも異性からも、そして性と身体が同一でない人からも、ありとあらゆる批判があったのだが、それはプライベートでプライバシーで、エロくてキモくて、知られたら危険でセクハラで、排便や男性の性欲と同列で…と、そのどれもが、秘すべき忌むべきものだと声高に叫んでいるように思えて、私は悲嘆に暮れてしまった。

 もちろん、毎度、生理中は心身ともにトラブルだらけだし、地獄絵図だし、決して綺麗なものではない。でもだからこそ、病気でもない好きで起こっているのでもない、このどうしようもない事象に、ポジティブで居たいと思うのは、間違っているだろうか。それが起きている全ての人に、もっと好意的に生理をとらえていこうと促すことは、悪いことだろうか。

 生理は、妊娠出産の為の尊い準備でもあり、最高のデトックスでもあり、月の満ち欠けに作用される神秘的で宇宙的なものだ。だから私は、生理バッチに対してもマタニティマークくらいの印象だった。大勢の炎上反応にとてもショックだった。

 娘たちには以前から、大変さを教えると同時に、生理の大切さやメリットも折に触れて伝えてきた。せめて娘たちには、このどうしようもない事象を忌み嫌うのではなく、誇りを持ってやり過ごしていってほしい。そう願うばかりだ。

 

がんができて。