2020年8月18日火曜日

妻でも嫁でもない存在で義実家と対峙する方法

 今年もお盆の季節が来て、日に日に鬱屈としてくる。

コロナ禍の精神的な苦しみも相まって、余計に義実家に泊まるということが、耐えられない重圧としてのしかかかる。その上、夫はさなかに仕事が入っており、3日行くうち2日も家を空けるらしい。

行きたくない行きたくない行きたくない

前日に夫と衝突し、険悪なまま出発当日。冷蔵の生協の配達を受け取りたい私の希望さえ受け入れない夫は、さっさと私を置いて子どもらと車を発車させた。その行為には絶望したが、行かなくてよくなったことには歓喜していた。

3日間の一人時間。なんて平和でなんて精神安定!!

上の娘がティーンエイジャーになった今までの10年以上、年二回の長期宿泊、年二回の法事、GWのみならず連休となれば宿泊を強いられていた。休暇期間なのに義実家に行くことは全く休息にはならない。娯楽もない。夫がソファで寛ぎ居眠りする間、女しか料理しない台所に、食事のたびに長時間立つ。勝手のわからない不潔なキッチン、こうせねばならないと束縛された習わしの数々、深夜まで続く作業…私の精神は削られ続けていった。

もうこんなしんどいことはやらないでおこう。私も夫のように寛いで休んでいよう。そう思って何もしない嫁になってみた。しかし無言の圧力は続く。しないでいいよ、ゆっくりしてね、という言葉は始めから永遠にかけられることはない。とにかく行けば働くことが当然の雰囲気。しないでいる自分に罪悪感だけが降り積り、結局心はすり減っていく。

15年の結婚生活で初めてボイコットした義実家行き(置いていかれたのだが)。安寧はあったが、夜は一人で様々考えて、頭がさえて眠れない。思考に思考を重ね、夫とのLINEバトルも経て、ふとあるアイデアが浮かんだ。

報酬があればやれるかも。

夫は自分の両親の価値観や生き方を絶対的に肯定しているわけではない。でも、今更真っ向から否定する気もない。やれることはしてあげたい。おかしなことを言っていても優しく受け流し、実際には従わないがその場を取り繕い続けたいらしい。これは私の中には全くないやり方だし、これを夫の親だからと受入れて無償の奉仕をすることは、もうこれ以上私には不可能だった。だけどこれがギャラの出る仕事なら?義実家を仕事場と捉え義父母を顧客とみなせば夫の望みも叶えられるかも。はなから他人である。たまに泊まりで接客サービスをすると思えば、何を言われても腹も立たない。そこではもはや私は妻でも嫁でもない(私の中でだけだが)。報酬をもらって働く1人のヘルパーだか、家政婦だかなのだ。

そう思った途端、嘘のように心が軽くなった。子どもでもそうだが、ご褒美をもらえるとそれだけで頑張れるのは真理だと思った。夫から与えられている普段の食費や住居費がそれにあたるだろうという論説はここでは意味を為さない。義実家と対峙することに対する対価というピンポイントにこそ、私たち夫婦の間では解決の糸口があった。

私は夫と結婚し、子どもを産んで、無償の愛で家庭を築いてきた。その4人こそが私の家庭だ。義実家の娘でもなければ、嫁と言われるのも違和感甚だしい。結婚した瞬間から下の名前を呼び捨てにする義父には嫌悪すら覚える。それでもなお、同じ他人にずっと尽くさねばならないのなら、もうこれは雇用でしかない。依頼者は夫だ。夫から私が勤労した相当の時間と報酬を、その都度必ず受け取るのだ。

ワクワクしながら報酬契約書を作った。義実家での仕事の効率化アイデアも次々に浮かんでくる。なぜもっと早くこうしなかったんだろう。これでなにもかも円満に収まったのに。

これからは張り切って義実家と対峙出来そうだ。妻でも嫁でもなく、報酬を楽しみに働く1人の人間として。












0 件のコメント:

コメントを投稿

がんができて。